【競馬ネタ】上村のブログからサイレンススズカへの記述

77: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/06/08(水) 04:20:12.48 ID:McZNSCoi0
天皇賞・秋(Gl)の1ヶ月後、同じ東京競馬場でジャパンカップが開催された。天皇賞・秋より400m長い芝2400mで行われ、世界に認められた国際Glは、毎日王冠のあと橋田師が

「もし天皇賞を勝てたら、距離の壁にも挑んでみたい」

と言って、出走を検討していたレースだった。その後は、小回りの芝コースが多いアメリカで、サイレンススズカの可能性を試してみたい。
サイレンススズカの名前はアメリカのホースマンにも知られており、アメリカの競馬専門誌が選んだ世界の現役中距離馬十傑に名を連ね、アメリカで種牡馬入りする話もあった。
だが、サイレンススズカの死によって、それらの夢も、すべては幻に消えた。

 サイレンススズカのいないジャパンC(国際Gl)を完全な横綱相撲で制したのは、毎日王冠でサイレンススズカの2着に敗れたエルコンドルパサーだった。
4歳馬によるJC制覇は、あのシンボリルドルフでさえもなし遂げることのできなかった史上初の偉業である。

 ジャパンCの翌日、競馬実況で有名な杉本清アナウンサーは、京都駅でたまたまエルコンドルパサーに騎乗した蛯名正義騎手に会った。
そこで、杉本氏はジャパンC制覇を祝福する言葉をかけたのだが、
蛯名騎手から帰ってきた反応は杉本氏の予想もしないものだった。

「でも、本当に一番強いのはウチの馬じゃないんです」

どう答えていいか分からず戸惑う杉本氏に対し、蛯名騎手はこう続けた。

「ウチの馬も、サイレンススズカの影さえ踏ませてもらえなかったんですよね。どこまで強い馬だったのか。
―本当に残念なことをしました」

 騎手というものは、ただでさえ自分の馬を強いと信じたがるもので、
いわんやこの場合、蛯名騎手の馬とは史上初めて4歳にしてジャパンCを制するという偉業を達成したばかりのエルコンドルパサーである。

 エルコンドルパサーがサイレンススズカに敗れたのは一度だけ、
それもサイレンススズカの最も得意とする距離に乗り込んでの敗北に過ぎない。それにもかかわらず、

「もう一度戦えば、勝てる」

蛯名騎手にそう思わせもしない、
サイレンススズカが毎日王冠で見せた「永遠の差」。
それは、果たして強さの差だったのか、それとも何か別のものの差だったのか。

 その次の年、エルコンドルパサーは日本から欧州への大遠征を敢然と決行した。そこで残した成果は、
サンクルー大賞典(仏Gl)、フォワ賞(仏Gll)優勝、そして世界の最高峰・凱旋門賞(仏Gl)で欧州最強馬モンジューと死闘の末の2着という偉大なものだった。

 しかし、エルコンドルパサー陣営が、賞金の高い日本国内のレースに見向きもせずに欧州へと旅立ったのは、なぜだったのか。
欧州遠征を発表する際に理由を問われた二ノ宮師はこう語った。

「もはや国内の馬との勝負付けは済んだ」

そのエルコンドルパサーが影すら踏むことができなかったサイレンススズカ。もしサイレンススズカが生きていたら、エルコンドルパサーには国内に1頭、倒すべき敵が残っていたことになる。競馬に「たら」「れば」がないことを承知で想像してみると、競馬界には今とはまったく別の歴史が形成されていたかもしれない。

引用元: ・http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/keiba/1465313577/


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78: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/06/08(水) 04:22:03.52 ID:McZNSCoi0
 早いもので、サイレンススズカが逝ってから、もう二年近い月日が経過した。
サイレンススズカが逝った後、競馬界にサイレンススズカの後を継ぐような馬は、今もまだ現れていない。
当然である。そのような馬が簡単に現れるようならば、サイレンススズカがこれほどに人々の心に残るはずがない。

「あんな馬は、もう二度と現れないのではないか」

そう思わせる馬だったからこそ、
サイレンススズカが府中に散ったとき、あれほど多くの人々が号泣したのである。

 今春、サイレンススズカの半弟ラスカルスズカが本格化し、
テイエムオペラオー、ナリタトップロードといった、前年のクラシックを沸かせた強豪たちと互角の戦いを繰り広げた。また、稲原牧場では、ラスカルスズカが活躍している時期に、サイレンススズカの半姉にあたるワキアオブスズカがサイレンススズカと同じくサンデーサイレンスを父に持つ産駒を出産したという。

 だが、彼らが今後大活躍して、Glをふたつ以上勝ったとしても、その存在がサイレンススズカを超えることは、おそらくないだろう。
サイレンススズカは、「最強であること」によって人々の心に残ったのではなく、「サイレンススズカであること」によって、人々の心に残ったのだから。サイレンススズカは、一頭一頭の馬の個性が薄れたといわれる現代競馬に現れた、何よりも強烈な個性だった。他の馬は、サイレンススズカを強さで超えることはできても、印象度で超えることはきわめて難しいだろう。

 印象度というものは、実際の姿を見ていない人々には、理解しがたいものである。
もしかすると、将来サイレンススズカの現役時代を知らない新しいファンが、私たちに向かってこう言うかもしれない。

「サイレンススズカ? 確かに中距離では強かったかもしれないけれど、マイルでもクラシックディスタンスでもろくに勝ってないじゃないか。それに、得意な中距離にしても、相手は弱い相手ばかりで、Glは一つしか勝ってないじゃないか」

そんなサイレンススズカ評に対し、
あるいは私たちはサイレンススズカの現役時代を知る者として激しく反論したくなるかもしれない。
ある人はエルコンドルパサーやグラスワンダーとの力関係からサイレンススズカの強さを説明しようとするかもしれないし、またある人は

「金鯱賞のビデオを見ろ」

とでも言うかもしれない。

79: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/06/08(水) 04:23:01.20 ID:McZNSCoi0
だが、そのようなことでサイレンススズカのすべてを伝えることはできないし、相手に完全に納得させることも出来ないだろう。

なぜなら、先にあげたようなサイレンススズカ評も、間違いなくサイレンススズカの客観面を正しく言い当てているものだからである。
記録は後世の人々と共有することが容易だが、記憶を後世の人々と共有することは不可能である。

 今になってサイレンススズカとはなんだったのか、と考えてみて、ふと思うことがある。
サイレンススズカとは、1998年に日本競馬に突然現れた、何よりも美しく、何よりも儚い幻だったのではないか。そして、その時代を生きた私たちは、幸運にも共通して同じ幻を見ることができただけなのではないか。
だとすると、いくら資料や映像を持ち出したところで、その記憶を持ち合わせていない人々を説き伏せることはできないのも道理である。

 もしかすると、サイレンススズカとは、同じ時代を生きた私たちが共通して見た、幻のような馬だったのではないか。
ほかの馬たちとはあまりに違う次元を走った彼の走りは、現実というにはあまりに速く、そしてその存在は、あまりにも儚く私たちの前から消えてしまった。私たちに、幻というにはあまりにも深い記憶を遺して。

 サイレンススズカとは、私たちに何よりも鮮烈な記憶を焼き付けた、永遠の幻だったのである。
だが、彼が私たちに残した記憶は、決して幻ではない。
彼が残した記録は未来の馬に破られて消えても、彼が遺した記憶は、決して消えることはない。

82: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:07:01.12 ID:McZNSCoi0
3戦目を圧勝したものの皐月賞には間に合わず、
照準をダービーに切り替え、
トライアルの青葉賞を目指す事になったサイレンススズカ。
まだまだ課題を沢山残しながらも慎重に調教を積んでいったのだが、
青葉賞のレースの週の火曜日、
思いもよらない事態に陥った。
朝、厩舎に行くとサイレンスの脚が腫れていた。
俺も、先生も、厩舎のスタッフも、みんなが青覚めた。
そして、予定していた青葉賞も、
この時点で断念せざるをえなかった。
診断の結果、幸い軽傷で、
「何日か休ませれば、腫れも治まるのでは」
との、獣医の診断だった。
この時、俺も相当心配したが、軽い症状との事で少しは安心した。
当然、この時はすでに次のレースの事などは一切頭に無く、
1日でも早い脚の回復を祈るのみであった。
そして、1週間ほど厩舎の周りを歩くだけの運動にして様子を見た。
その甲斐あってか、翌週の火曜日から調教を再開する事が出来た。
調教を再開する事が出来たこの週、
実はこの週は、
あのダービートライアル最後のプリンシパルSだった。
この時2勝馬のサイレンスがダービーに出走するには、
ここで勝つか2着に入り権利を取るしか方法が無かった。
そして、この辺りから、
俺の感じている事と先生の考えにズレが生じ始めていった。
(ここからはあくまでも俺の考えで、先生を批判しているという訳ではない事をご理解ください)

86: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:17:10.22 ID:McZNSCoi0
この時、俺は、まだ未完成であったサイレンスの将来性を考えて、
ダービー出走は無理だと思っていた。
しかし周りは、まだ諦めていなかった。
そして、ダービー出走を賭けてプリンシパルSに使う事となった。
こういう出来事があったにも関わらずである。
僕の中で、これはありえない事だった。
1週間厩舎周りの運動しかしていないにも関わらず、
いきなりレースに出走?
俺も、この時ばかりは驚いた。
確かに、競走馬として生まれてきたからには
クラシック、そしてダービーというのは、誰しもが憧れるレースである。
そして、出走させる以上勝ちたいというのは、
競馬に携わる人ならば当然の事である。
しかし、この時の先生の判断に、正直俺は戸惑いを感じた。
でも、まだ若手だった俺に、先生に意見する事は出来なかった。
ただ、俺にはこの時、思っていた事があった。
今のままダービーを目標に調整を進めていけば、
サイレンスは本当に精神状態と能力とがぶつかり合って、
走るたびにコントロールが効かなくなってしまう。
正に、諸刃の剣である。
それだけは絶対に避けたかった。
しかし、プリンシパルSで2着までに入れば、ダービーへ出走する事ができる。
だから、プリンシパルSに使いたい。
そして、周りもダービーしか見ていない。
サイレンスの精神状態を分かっていない。
それでも、やっぱりレースに出走させてしまうのか?
俺は思った。
それなら、同じ走らせるのであれば
2200mのプリンシパルS、
そして2400mのダービーを目指すよりも、
1600mのNHKマイルカップの方が、今のサイレンスにとってレースがし易いはず。
だから、NHKマイルカップに出走してはどうか、と。
そして考えた。
それを先生に言うべきか、言わざるべきかを。
言うという事は先生の考えを否定するのと同じ事で、
この時の俺の立場でそんな事を言ったら、生意気と取らて当然であった。
先生やオーナー、スタッフからしてみれば、せっかくここまで大変な思いをして、ダービー目前というところまで来てである。

87: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:18:21.53 ID:McZNSCoi0
それも、サイレンススズカという
将来有望な未知の力を持った馬であるにも関わらず、
ダービーを目指すのを止める様、
俺は言おうとしているのだから
(厳密には路線を変える様)。
先生に刃向かっているのだから。
迷った。
下手をしたら、サイレンスを下ろされかねない。普通ならば言えない。
言わない、絶対に。言える訳がない。
トップジョッキーが言うのならばいざ知らず、
当時の俺の立場からすると、まだまだヒヨッコ。
そのヒヨッコがそんな事を言えば、降ろされてもおかしくない。
だから迷った、本当に。
そして、俺は決断した。
先生に言う事を。
なぜならば、サイレンススズカの本当の状態を、
乗っている者として少なからず分かっていた、理解していたからこそである。
別の言い方をすれば、サイレンスの未来を見てみたかったからである。
とてつもない可能性を秘めた未来を。
馬というのは、調教で何日もかけて教え込んできた事でも、
たった一回の競馬でダメになってしまう場合がある。
だからこそ、ここは俺が言うべきだと思った。
今のサイレンスの心の叫びを、一番近くで感じていたのが俺だったから。
言わずにはいられなかった。
そして俺は、覚悟を決めて先生に言った。

「先生、ダービーをやめてNHKマイルカップに路線を変えた方がいいのでは?そこから改めてレースを教えていく方がいいのでは?」
と。すると先生は、
「どのレースに走らせるかは、オーナーと調教師が決める事や。お前は口を出すな」と一言
(今考えると、大それた事を言ったなと思う)。
でも、今でも思う。
あの時そう言った事は、間違ってなかったと信じている。
ここでひとつ言いたいのは、
俺はあの時の自分の言動を美化するつもりは一切無い。
ただ純粋に、サイレンススズカという馬の、
あの馬の潜在能力の高さがどれだけ凄かったかを、
皆さんに知って貰いたかったから、
あの時の気持ちを正直な表現で伝えているのであって、
決して慢心的な気持ちで言っているのではありません。
そこは分かって下さい。
サイレンスの将来を案ずるが故に、
この様な言動を起こしてしまった事を。

88: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:19:40.08 ID:McZNSCoi0
そして、結局プリンシパルSに出走する事となった訳なのだが、
ダービー出走を賭けたレースとはいえ、俺としては絶対に無理をさせたくなかった。
俺が出来る事といえば、調教で無理をさせない事だけだった。
かくしてこの様な状況で出走する事となったサイレンスを、俺は守ってあげたかった
(無理をさせたくなかった)。
しかし、守ると言っても、
プリンシパルSに出走する事となった以上、俺も気持ちを切り替えるしかなかった。
そして、その週の追い切り。
俺は、軽い追い切りに留め、坂路を56秒程度に抑えた。本当に軽い程度に。
それは、サイレンスの精神状態を思っての事である。
本気でやれば、簡単に50秒を切る事も出来た。しかし、ひとつ間違えれば、コントロールが出来なくなってしまう恐れがあるし、
これ以上サイレンスに負担もかけたくなかった。
そして、その調教を見届けた先生は、俺とサイレンスが帰ってくるなり、
怒りをあらわにしてこう言った。
「ダービーに出れるかどうかの追い切りやぞ!そんな軽い調教で勝てると思っているのか!」と一喝。
しかし、俺は先生に意見してしまった。
「大丈夫です。これで十分です。サイレンスならば、絶対に結果を出せます」と言い切った。
それは、サイレンスの潜在能力が言わせたに他ならなかった。
しかし、俺としてはもっと別のところに心配があった。
一番大事な馬の状態、気持ちに無理をさせてまで出走させてしまう事であった。
この時点でサイレンスには、沢山の期待をするあまり、
相当な人間の要求を押し付けてしまっていた。
俺は、それが一番不安だった。
ただでさえ慎重に扱わなければならないにも関わらず、走らせてしまう事が。それが、今のサイレンスにとってどれだけ負担になっていた事か。
裏を返せば、サイレンスにはそれだけの期待に応える能力があったからこそ、人はこの馬に沢山の事を求めてしまった
(確かに、俺も期待していたその中の一人であった訳だが)。
俺は、そこに違和感を感じずにはいられなかった。
「なにもダービーだけが全てでは無いはず。確かに誰しもが勝ちたいのがダービーというレース。
しかし、馬の状態や気持ちを無視してまでも、このレースに出走させるのが良かったのだろうか?」
そして、迎えたプリンシパルS。
サイレンスは、俺の心配とは裏腹にとんでも無いレースをしてくれた。
1週間、調教を休んでいたにも関わらず、である。
普通の馬だったら絶対にありえない、
というかレースにすらならない。
それを何と、
課題にしていた馬の後ろで我慢する事をやってのけて勝利したのである。
そして、着差は僅かではあったが横綱相撲で完勝してくれたのである。
これには俺も、正直、脱帽した。
何回も言うようだけど、正に怪物であった。
普通では絶対にありえへん。
ありえへんねんけど、
それをいとも簡単にやってのけたサイレンス。
やっぱり俺が惚れ込んだ馬だけあった。
そして、ダービー出走の権利を見事に自力で勝ち取った訳なのだが、
俺はこの時、ダービーに出走出来る喜びよりも、サイレンスの脚元や精神状態の方が心配だった。

<続く>

90: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:22:40.72 ID:McZNSCoi0
見事にプリンシパルSを快勝してくれたサイレンス。
改めて、本当に凄い馬だと痛感させられた瞬間でもあった。
それと同時に、先生の考えていた事、
先生の方針も間違っていなかった事を改めて感じた。
それだけサイレンスは凄い馬だった。
そして、いよいよダービーに向けて調整を続けていく訳なのだが、
丁度この頃から、
それまで毎日サイレンスに跨がってきた調教に乗らなくなってしまった。
なんでかって?
たぶん先生は、ダービーに向けて悔いの無い調教をしたかったんだと思う。
確かにダービーは、
その馬達にとっては一生に一度出れるか出られないかの、
サラブレッドに生まれてきたからには頂点とも言えるべき舞台。
だからこそ、悔いの無い調教をしたかったんだと思う。
その思いは、言うまでも無く伝わってきた。
俺は、それまでサイレンスの追い切りは、絶対に目一杯の時計を出す事はして来なかった。
それは、前述までに何度も書いてきたが、サイレンスの精神状態が本当に紙一重のところで保たれていたためで、
レースで相当なテンションのところまで行ってしまう反面、
調教では、そのテンションをいかに落ち着かせるか、
ひと安心させる事が出来るかで苦労していた。
いわゆるONとOFFの切り替えが出来なかった、真面目過ぎて。
だからこそこの馬に限っては、
一杯に調教をしてしまうと、
ホッと安心出来る気持ちのよりどころを奪ってしまう様な気がして。
そうなるとどうなるか?
常に一生懸命に走ろうとしてコントロールが効かなくなってしまう。
繊細過ぎるという事がこうゆう形で競走能力に影響してしまう訳なのだが、
本当に難しかった、この馬は。
だからこそ勉強になった。

91: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:25:44.96 ID:McZNSCoi0
そして、いよいよダービーの週が来たが、
水曜の追い切りにも俺が乗る事は無かった。
結局、プリンシパルからダービーのレース当日まで、一度も乗る事は無かった。
そしてサイレンスは、
予定通り目一杯の仕上げでダービーに臨む事となった。
その時のサイレンスの精神状態?
中間に乗って無かったが、
雰囲気と仕草でずっと感じて分かっていた。
そしてダービー当日、
レース前から先生と作戦を話し合っていた。
その考えは俺も先生も一致していた。
だから、俺も先生も必要以上の事は何も言わなかった。
というより、言う必要が無かった。
思いが同じだったから。
このブログのコメントにもあったが、逃げるとゆう選択肢はなかったのか?
それは無かった。
俺と先生の考えは、あのプリンシパルSの様なレースであった。
ああいうレースをさせてあげる事が、二人の理想で共通していた。
ただ、レース展開というのはゲートが開いてみないと分からない。
それに、この大レースには、
18頭の馬に騎乗する騎手や、管理する調教師、オーナー、
他にもいろんな人達の思いが集結している。
それぞれが、勝つためにいろんな展開を考えている。
だが、必ずしもみんながみんな自分の思った展開になるとは限らない。
というより、まずほとんどの馬の騎手や調教師の思った様にはならないだろう。
それが競馬である。
その中でも、一番上手くレースの流れに乗れた馬が優勝する事が出来る。

92: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:30:28.21 ID:McZNSCoi0
もちろん、その中には人馬の呼吸が絶対の条件なのである事は言うまでもない。
かくして俺とサイレンスは、ダービーという大舞台に臨んでいった。
沢山の思いを背に、俺は装鞍の時からサイレンスを注意深く見ていた、
その時の精神状態を見る様に。
そしてパドック。
サイレンスのテンションはいつもと変わらない様にも見えたが、
俺には少し力んでいる様に思えた。
だから、騎乗の合図がかかりサイレンスに跨がった瞬間から、
俺は落ち着かせる事だけに専念した。
出来るだけ会話をする様に声をかけた。そして馬場入場。
お客さんの声援がコースに飛ぶのと共に、一気にサイレンスのボルテージが上がっていく。そして返し馬。
俺はなるべくゆっくりゆったりと走らせた。
しかし、サイレンスはハミをがっちりと噛み離そうとしない。
すでにパニックに陥っていた。
俺は、なんとかこのパニックに陥ったサイレンスを正常に戻すように努力した、歩かせるスピードと話しかける事で。
そして、集合合図がかかるとラチ沿いをゆっくりと歩かせ、
一番最後に発走地点に向かった。
そして、いよいよファンファーレ。
お客さんの大声援と共に、サイレンスのボルテージもMAXに。
まさに一触即発状態。
その時の俺が、この時のサイレンスにしてあげられる事は、微々たる事だけであった。
そして緊張のゲートイン。
サイレンスはおとなしくゲートの中に入った。
暴れる事もなく、ジッと我慢していた。
俺も、この緊張の一瞬を全身で心臓の鼓動を感じ取っていた。
そして、最後の馬が入ると、ほんの僅かな一瞬の静寂。
それと同時にスタートが切られた。
サイレンスはいつもの様に好発を切り、一気にスピードアップ。
そして1コーナーに向かって行く。
俺はなんとか宥めようとするが、一気にテンションが上がってしまった。
サイレンスをコントロールする事が出来なかった。
と言うより、コントロールが効かなくなっていた。
そう、俺が一番恐れていた状態だった。もうこうなってしまった以上、俺にはどうする事も出来なかった。
暴走にも近い状態でレースが進んでいく。口を割り、人馬とが喧嘩をしてしまい、最悪の状況。
そのままレースは進み、
ようやく行きたがるのがおさまったのは4コーナー手前。そのまま直線へ。
それでも、直線では馬群の間から脚を使い伸びかけたが、
さすがにそれまで折り合いを欠いていた事が響き失速。
最後はそのままゴール。
俺はその瞬間、なんとも言えない悔しさが込み上げた。その悔しさとは、ダービーというレースをこの様な形で終えてしまった事。
そして、コントロールが効かなくなってしまっていたサイレンスの状態の事。そして、どうする事も出来なかった自分自身の事。
ただただ悔しさだけが残り、引き上げて来る時に俺は、
サイレンスに謝ってばかりいた
「ごめん、ほんまにごめん」
と。その時、サイレンスに対して初めて悔し涙を流した。
そして、ダービーは終わった。

<続く>

93: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:33:08.13 ID:McZNSCoi0
ダービー後、成長を促すのと、
気持ちをリフレッシュする意味で放牧へ。
この放牧で、体の成長と精神面の成長を願っていた俺。
俺だけじゃあないなぁ。
みんながそう願ってたかな。
「身も心もひとまわり成長する事によって、それまでの精神的な部分が少しでも落ち着いてくれると、これから先のレースがかなりしやすくなる様に」
との思いだった。
夏の厳しい暑さがまだ残る8月の中頃、サイレンスは帰って来た。
そして、秋のレースに向けて再び調教を進めていった。
気になっていた放牧の効果は?
う~ん、実を言うと俺にもよく分からない。
実際、放牧に行っていたのは約2ヶ月。今でこそ短期放牧というシステムが主流になってきていて、
あまりレース間隔を開けずに簡単なリフレッシュで厩舎に戻す事で
再び実戦に近い調教から始められ、
比較的早くレースに使えるという利点がある。
それはそれで大変に良いシステムであり、今の厩舎運営ではそういう事を効率良く、上手く取り入れる事で、
厩舎の成績も上がってくるというのも確かである。
しかし、サイレンスの場合は、
成長を促すという意味では、
もう少し時間が必要だった様に思えた。それはやはり、
「それまでのレースで高くなったテンションを下げる」
という事を願っていた訳であって、
一度完全にOFFにしてあげて、
落ち着いた頃合いを見計らい、
そして再び入厩させて調教を進める。
そういう狙いがあったからこそ、
サイレンスの場合はもう少し時間が必要だった様に思えた。

94: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:35:39.14 ID:McZNSCoi0
しかし、完全にOFFにするという事は、やはり時間が必要であって、
秋のレースの事を考えると、
そうせざるを得ない状況も理解出来た。
かくして調教を進めていった訳なのだが、俺には、春と比べてあまり放牧の効率は見られ無かった様に思えた。
だから、放牧から帰って来たにも関わらず、相変わらず気持ちがピリピリしてばかりいた。
それは調教でも同じだった。
ムキになりハミを離そうとしないところにも表れていた。
それでも、順調にレースに向けて調教をこなしていく事が出来つつあった。
そんな時、サイレンスの秋の路線が決まった事を知った。
その路線とは、
「神戸新聞杯から秋の天皇賞へ」
というプランであった。
そのプランには俺も賛成だった。
3000mと長丁場の菊花賞よりも、
サイレンスにとって走り慣れた2000mの天皇賞の方が、
レースがし易かったからである。
かと言って、決して楽ではない事も分かっていた。
当時のサイレンスはまだ3才馬。
この時点で古馬の強豪達を相手に戦うのは大変な事であった。
ある意味、同世代同士で走る菊花賞よりも、大変厳しいレースになる事は明白であった。
ただ、距離の事を考えると、
その方がサイレンス自身のレースが出来ると思っていた。
そして、秋初戦の神戸新聞杯が近づくに連れ、俺はこんな事を考えるようになった。

「出来ればここを何とか楽に勝たせてあげて、天皇賞に向けて少しでも身体や精神面にダメージを残さない様にしてあげたい。そしてより万全の状態で天皇賞に向かわせてあげたい」

それがサイレンスの為になると思っていた。
しかし、その思いのために思いもよらない事になるとは、


その時の俺は知るよしも無かった。

95: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:40:37.89 ID:McZNSCoi0
そして神戸新聞杯の週。
追い切りも無事に終え、いよいよレース当日。
先生と話し合って、サイレンスの状態を見て、ダービーの時の様に無理に抑えようとして馬と喧嘩をするよりも、
サイレンスが行きたがるのであれば、
サイレンスの気分を尊重して行かせてあげるように、それまでの作戦から変更した。
俺も、その時のサイレンスの状態を考えれば、その方がベストだと思っていた。
その日俺は、朝からずっとサイレンスの事を考えていた。
いかにダメージを残さず勝たせる事が出来るか。
まだ精神的な不安が無くなった訳ではなかったから、
次の天皇賞への事を考えずにはいられなかった。
ダービーの時の様な、
あの頃のサイレンスに戻ってしまう事だけは避けたかった。それだけは絶対に。
そんな事を考え続けた俺は、
いつしか守りに入っていたのかも知れない。そして運命のレース。
ゲートが開くと今までの様に素早い反応で先手を取り、軽快に逃げていく。
俺は、そのサイレンスの行く気に任せ、気分良く走らせる事だけを考えながらサイレンスのリズムに乗った。
後続をどんどん離していくのが分かる。後ろの気配が消えてゆく。
そのまま3コーナーを過ぎ4コーナーへと向かっていく。
もちろん手応えは抜群。十分過ぎるほどの感触。
もう、サイレンスと俺の独走状態だった。そして、そのまま直線へ。
俺は、サイレンスにスパートをかけた。
その要求通りにサイレンスは加速していく。
そして、直線の半ば過ぎ、ラスト100mを過ぎた辺りで俺は、勝利を確信したかの様に、馬なりのまま流してしまった。
この時俺がしてしまった事は、今でも反省している。そして悔やんでいる。
これは、勝負師としてやってはいけない事だった。
そして、差されてしまった。
この時の行動?
なぜ?
こういう風に言うと言い訳に聞こえるかもしれない。
俺のせいだと言われても否定出来ない。
しかし、敢えて言わせて貰えば、
あの時、あの直線半ばで俺は勝利を確信し、次の天皇賞の事を考えてしまった。そう、レース前に考えていた、
「なるべく心身共にダメージを最小限に抑えたい」と。あのダービーの時の様に、サイレンスを追い込む様な事はしたくなかった。
それがサイレンスの為だと思って…。
しかし勝負の世界。
俺は甘かった。
今まで「サイレンスの為」と思い、
色々な事を考えてきた訳なのだが、
負けてしまえばそれで終わりだった。
何の意味も無かった。
勝負は勝ってこそである。
甘かった、本当に、俺は。
そして、そこで俺はある事を受け止める覚悟をした。

「サイレンスを降ろされてしまう」

という事を。

97: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:44:21.71 ID:McZNSCoi0
それは仕方無かった。
俺自身がしてしまった事なのだから。
何も言い訳出来なかった。
負けてしてしまったのだから。
そんな俺の行動で結局サイレンスを手放す事になろうとは、
レース前までは考えもしなかった。
「なんて事をしてしまったんだろう、俺は」
悔やんでも悔やみきれなかった。
当時、札幌遠征中だった俺は居てもたってもいられず、その場所、関西から離れる様に、その日のうちに札幌へ帰った。
そしてその晩俺は、朝方まで酒を飲み、そして泣いた。
誰の目も気にする事なく泣いた。
自分のしてしまった事に。
そして、サイレンスが自分の手から離れてしてしまった事に。
そして、サイレンスは俺のもとから離れていってしまった。
それからというものの、
調教でサイレンスを見かけるたびに、
愛する彼女を自分自身で手放してしまった事の様に愛おしく思い、やり切れなかった。
もうサイレンスに乗る事が出来ないと思うと、切なかった。
それ以降、サイレンスには3人のジョッキーが乗る事になるのだけれど、
やはり、最初はサイレンスの性格(クセ)に、苦労していた様に思う。
それと同時に、ポテンシャルの高さを知って皆さん驚いていた。
奇しくも、俺のもとから離れていってからサイレンスは、
伝説と言われるほどにその才能を開花させていく訳なのだけれど、
正直、やはり悔しかった。
誰にも渡したくないと思っていただけに、やり切れない思いがしばらく続いたが、自分自身の招いた結果だけに、
どこかで気持ちを切り替えるしかなかった。
しかし、そんな複雑な思いにけじめをつける事は、なかなか出来る事じゃなかった。
それは、あのサイレンスだったから。
サイレンスが人の手に渡ってからも、
俺はサイレンスの精神状態がずっと気になっていた。
調教で見かけては、ずっとサイレンスの姿を目で追いかけ、雰囲気を感じ状態を感じ取っていた。
だからサイレンスの事は、
乗っていなくても大体の事は把握していた。

110: 上村のブログからサイレンススズカへの記述 2016/06/08(水) 05:48:31.52 ID:McZNSCoi0
サイレンスが快進撃を始めてからも、
俺のサイレンスを見る目は昔と何も変わらなかった。
いつも心配していた、自分が乗る訳でも無いのに。
そして、あの逃亡劇で連勝していった訳なのだが、

正直、今でも分からない事がある。

それは、俺がサイレンスに抑えるレースを教えようとやってきた事なのだが、

どうだろう?

あの時上手く教えてあげる事が出来ていたならば、

もっとこうしてあげられれば、

もっと凄い伝説を築いていたに違いないという気持ちが今でもある。
あの馬は、決して逃げだけの馬じゃあなかったはずだと。
それだけに、

抑えた方が良かったのか?

逃げた方が良かったのか?

しかし、あの驚異的な逃げこそが沢山の人達の心を魅了し、沢山の人達の心に刻み込まれたのも事実。

全ては

「サイレンススズカ」

という馬のポテンシャルの高さが、


沢山の人達の想像を豊かにさせてくれたのだと思う。
それだけ、多くの人に夢を与える事が出来る馬だった、サイレンスは。


終わり

113: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/06/08(水) 06:11:49.93 ID:zmcpWdPI0
上村はスズカに鞭を入れて無理矢理コントロールしようとした

武豊はスズカに鞭を一度も入れずに重心移動だけでコントロールした

上村が乗り続けて脚が腫れてローテ狂った事からも、
初めから武豊が乗っていたなら勤続疲労も軽度だったかもしれない

114: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/06/08(水) 06:25:21.56 ID:vCnRaXBM0
上村のままだったら南井と同じ乗り方をする様になり、ブレーキ頻度が増えて逆に疲労が悪化してた可能性が高い。

60キロスピードの中を断続的にブレーキを掛けさせる事を覚えると、それだけ脚に負荷がかかる。

119: sage 2016/06/08(水) 08:35:46.89 ID:2ApamJbg0
みんなの投稿を読んでるだけで
こちらも涙がとまらない!

豊だけでなく みんなにも唯一無二の
かけがえのないサラブレッドだった

無事だったらどんな未来があったのだろう か?
あれから 豊とススズに時間がとまったまま

120: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/06/08(水) 08:36:32.95 ID:/HFLoZUlO
当時に非ノーザンダンサーの血統だからね。とても貴重
卓越したスピードと能力からもこの馬ほど種牡馬になってほしかった馬はいないよ

81: 名無しさん@実況で競馬板アウト 2016/06/08(水) 05:04:54.84 ID:yZ3HmUCi0
時間を巻き戻せるなら、あの日あのままゴールしたい。
そして世界中の競馬場で、心地いい風を感じたかった。

武豊展で買ったサイレンススズカのポスターに書かれてる一文

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